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琴浦窯 四代 和田桐山 先生

現在、桐山先生は兵庫県の琴浦窯と山梨県の大泉窯で、活動されています。今回は4月29日の大泉窯の窯だしに参加させて頂きました。八ヶ岳の自然が素晴らしく、桐山先生が大泉に惹かれるお気持ちがよく分かりました。29日は快晴で富士山、八ヶ岳、南アルプスがよく見え、感激致しました。

▲桐山先生は昭和22年生まれです。(大泉にて) ▲5代目を継がれるご長男、泰明(ヒロアキ)さんです。 今回の窯だしで、一番のお気に入りのお茶碗です。 (4月29日の窯だし直後)
▲お嬢さん、雅子さんとご一緒に。(清里の清泉寮にて) ▲平成19年4月29日朝の富士山です。とても感動しました。

琴 浦 窯 公式サイト:http://www.kotoura-gama.co.jp

住 所 〒660-0864 兵庫県尼崎市東櫻木町17番地寺町通
電 話 06-6411-2016
最寄駅 阪神尼崎駅

大 泉 窯

住 所 〒409-1502 山梨県北杜市大泉町西井手
電 話 06-6411-2016
最寄駅 JR小海線 甲斐大泉駅
観光地 一番が八ヶ岳の大自然です。本当に素晴らしいと思います。
清里をはじめ、沢山の観光地がありますが、先生お薦めの「パイの家M-1」とソフトクリームが美味しい「清泉寮」をご紹介します。


左から、「北岳」、「アサヨ峰・栗沢山」、「甲斐駒ケ岳」です。 (南アルプス)


「パイの家 M-1」アップルパイがとても美味しいお店です。


「清泉寮」宿泊施設もあり、ソフトクリームが美味しいです。

プロフィール

●琴浦窯小歴
橘経氏、天慶四年六月(941年)、藤原純友の謀判の時戦功に依り、河内・備中二ヶ国を賜り、次いで成綱の時代、河内金剛山麓の屋敷内に楠の大木の有るのを称へて、弘長三年(1263年)菊水を陣羽織紋とし、河内金剛山麓に於いて楠和田が発祥いたしました。時代の変遷と栄枯盛衰を経つつ、文化十二年(1816年)和田信景、外科医道を以って尼崎藩主櫻井候に仕え近世に及びます。和田九十郎正隆(安政5年1月25日生)兵庫県学務課に奉職中、淡路志築における陶器学校建設に参画したるも実現せず、官を辞し、明治34年、兵庫県武庫郡中村に窯を築く。九十郎二男、和田正兄(マサエ)が、兵庫県武庫郡精道村に御庭焼の築窯に盡しましたのが打出焼の創始であります。明治四十三年、正兄は尼崎市東桜木町に移窯し、白砂青松の美しい磯部であった尼崎の古名「琴の浦」という地名にちなみ「琴浦窯」と称し、陶号を「桐山」と号したのが始まりです。大正12年に五室の連房式登り窯を築窯し、白磁、青磁、染付、金襴手、色絵等多種多様な技法で、煎茶器、食器、茶道具を焼成。昭和22年、天皇陛下 兵庫県行幸の際には、ご宿泊所に作品15点を陳列天覧に供し、兵庫県文化賞を受賞いたしました。

●大泉窯
大正十二年より昭和二十一年まで、兵庫県尼崎市、琴浦窯にて使用していました五室の連房式登り窯を平成元年に、解体し、そのレンガの一部を用い、新たに平成十二年八月に、八ヶ岳南麓の、山梨県大泉村に再興したものです。構造は前後各一室の穴窯及び登り窯の併用窯です。窯名の「大泉窯」は裏千家第十五代 鵬雲斎大宗匠樣より頂戴されたものです。この窯より出る作品につきましては、箱に「大泉窯」と書き入れされています。
*大泉窯は兵庫県尼崎市琴浦窯の登録商標です。

●四代陶歴
昭和22年  兵庫県尼崎市に三代桐山長男として生まれる。
昭和47年  琴浦窯にて作陶を開始
昭和57年より日本陶芸展、日本伝統工芸展等に入選
平成2年  日本工芸会正会員認定
平成8年  四代 和田桐山襲名
大阪、東京、その他各地で襲名展開催 以後、各地にて個展開催
平成18年  大丸心斎橋展にて桐山・泰明父子展開催
平成19年 フランス パリにて桐山父子展開催予定

インタビュー

桐山先生は今年の9月にフランスでの展示会も決まり、お忙しい毎日を送っておられます。 今年、還暦を迎えられ、愛犬に至福の愛情を注がれる心優しい素敵な先生です。
●色絵について----
学生の頃、焼き物をやろうと決めてから、一番勉強したのが日本画だと思います。当時日本画を習う方は、ほとんどが岩絵の具を使った現在のような絵を描きたいという人達が多く、運筆をする人は少なかったように思います。しかし焼き物の絵を描くには運筆が必要で、牛尾桃里先生につき勉強させていただきました。この方は京都の西村五雲先生のお弟子で兄弟子に山口華楊先生がおられたと聞いております。これからと言いますか、これまでも自分自身の思いは、柔らかい絵を描きたいという気持ちが強く、大泉窯の素地に出来るだけ柔らかい絵を描いていこうと思っております。しかし、大半の方の色絵茶碗等に対しての思いとの間には、かなりのギャップがあることも事実です。今後の作品展開としては、大泉窯色の強いものを増やしてゆきたいと思っております。
●大泉に窯を築きたいと考えられるようになったのは----
15年前より窯を築く場所を探し始め、琵琶湖の蓬莱、兵庫県西宮の山手、裏六甲など十数ヶ所を探したのですが、20年前初めて訪れてから、毎年訪れている八ヶ岳の自然、水の味が忘れられなかった事と、八ヶ岳にはアカマツ、カラマツが豊富で手に入りやすい事が分かり、燃料が入手しやすい八ヶ岳に窯を築くのが、最も合理的と考えました。
●大泉窯の作品について----
電気窯やガス窯では出ない味を求め、穴窯と登り窯の併用窯という形にし、焼き始めました。窯名を裏千家十五代 鵬雲斎大宗匠樣につけていただいた折に、安易に写し物を作らないように、大泉窯独特のものが焼けるようにとのお言葉をいただき、試行錯誤を重ね、この窯から出た素地に絵付けをするようになりました。
又、前側穴窯の一部分で染付が焼けることが分かり、年間 1、2度染付も焼いています。この染付の藍の色はガス窯では出ない深い色がでます。そして後ろの部屋で灰被なども焼くようになりました。これも大泉独特の味だと思っております。そして、数年前楽焼用の炭窯も作り、時々赤茶碗なども焼いております。
●窯焚きについて----
年によって少しずれますが、4月、6月、9月、11月が基本です。1月から3月頃に焚きたいのですが気温がマイナス10℃から15℃に下がる為、準備が非常に厳しく、設備が整ってからと考えています。窯焚きのパターンは2日(35~36時間)と3日(72~77時間)の二通りです。
●土について----
土は基本的に6種類を造るものによってブレンドして使っています。其の内3種類は原土をもらい、自分達で処理をして使っています。 八ヶ岳には残念ながら良い土はありません。 少しブレンドするには問題はないのですが、耐火度が低いのです。将来、楽焼には使ってみたいと思ってはおります。
●薪について----
アカマツ、カラマツは八ヶ岳で調達しています。地元の造園や林業の方々にお願いして、切る時期を指定して、5Mくらいの長さににしてもらい、自分達で玉割り、薪割り、たが詰などをしています。 年間1,200束以上(約12t)の薪を用意します。

▲沢山の薪です。 ▲「大泉窯」これから、窯だしです。 ▲愛犬ウエイヴィーと
大変仲の良いお二人です。

●ご子息、泰明(ヒロアキ)さんへ----
親子で同じ仕事をするという事は、ある意味大変な事ですが、家業を継いでくれることに対しては感謝しています。喧嘩をしながら11年続けて来られたのですから、この先続いていくでしょう。問題は彼が独自の作風を確立してゆく事だと思っています。家業である色絵(金襴手等含め)の、しっかりした仕事を確立してゆくことと共に、独自の作風を生み出すことが、陶芸作家として大切な事だと思います。
●愛犬について----
以前飼っていたダルメシアンが亡くなった翌日、私たち夫婦が悲しんでいるのを見かねて、息子が淡路島から生まれて3週間になる黒のラブラドールを連れて帰って、今年で6歳になります。車で出かける時には必ずついてきますね。都合で連れてゆくことが出来なかった時など帰ったら、かなり怒ります。息子には甘やかしすぎだとよく怒られますが・・・
●好きな言葉----
「忍耐」ですね。
●これから----
琴浦窯はもうすぐ開窯100年を迎えます。この時、大泉窯も10年目を迎えることになります。祖父が尼崎の地に登り窯を築き琴浦窯としたように、大泉窯にその役割が移ってゆくのかも知れません。世の中の流れが速く、日本人の気質が変わってきた今日、以前のようにながれを読めなくなってきました。しかし丁寧な手仕事から生まれる作品は決して消え去ることはないと思います。

▲「大泉 染付富士の絵茶碗」
窯から出た直後で、まだ温かく、山梨県から見える富士山です。
▲萩茶碗
▲唐津焼の特徴のひとつ「皮鯨」と萩の「割高台」を融合したお茶碗です。同種の作品が茶碗として初めて、日本伝統工芸展に入選(平成10年)し、陶兵衛先生の思い入れのある作品です。 ▲田原家の特徴のひとつ灰被作品<灰被茶碗>
灰色から白、白からピンク、びわ色に、美しい色の変化が見られ、炎と灰の調和が見られます。
 
▲田原家の特徴のひとつ灰被作品<灰被耳付花入>  

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